Gliding tactile perception 

すみだ向島EXPO 06 参加作品

『 滑空する触知 』

 

2025年 10月24日(金) ~ 11月3日 (月・祝)
金曜日、土曜日、日曜日、月曜日のみ 8日間

場所 : ウラダナとなり  (東京都墨田区京島3丁目57−6)

 

 

音と気配を深く聴くこと。それは、日常の中に潜む微かな兆しを知ることである。このインスタレーション作品は、経験の器であり、場と機会を提供するものである。深く聴くことを通して、関わる者に呼応して滑らかに変容し、人、もの、時との対話の契機となり、日常への感覚を開くことを狙いとしている。
築90年を超える古民家を会場に、暮らすように制作することを目指した。実際は、10日間足らずの時間に過ぎないが、場の感受と制作の時間に当てた。家の実在に触れ、その地に暮らす者を想い、まちの文脈に接しながら、事物を直感的に観察することから始まり、制作の過程は即興的で、些細な日常の感触を感受し組み変え、再発見することから空間と体験を探索的に組み上げていった。窓を開けた時にゆったりと流れ込む秋の風と香り、そして穏やかな光。張り替えられた畳の香りと肌触り。縁側と庇のつくる入り江は心地よく、人間の耳介を思い浮かべた。大通りから届く交通音は、潮騒を遠くに聴くようでもある。屈曲した路地の角度は、この民家の造形的な特徴であり、空間を構成するうえで最も意識したことの一つである。
日常をどのように読み替えるのかが最大の主題である。退屈で些末な出来事の連なりに過ぎない日常に、どのような眼差しを向ければよいのか。90年を超える歳月が堆積した民家は、何を観て何を聴いてきたか。その全体を遡ることはできないが、今聴こえる響きをありのままに、ここにある光をそのまま受け入れつつも、既知と未知の入り混じった手触りを作りたい。それは、日常に滑り込んでくる気分のようなものであり、同時に手で触れられるがあまりにも微かな兆しのようなもの。その時々に性起し滑空する何ものかに触れてほしい。  (三浦秀彦)

 



会場は、築90年を超える下町の細い路地に面した民家「ウラダナとなり」である。壁が薄く、隣室の音、屋外の音もよく聴こえる。路地から聴こえてくる自転車の通り過ぎる音や通りすがりの人の会話、遠くから聴こえてくる救急車の音、明治通りの交通の音、上空を飛び去る飛行機の響きなどが一日の時間の中で刻々とミックスを変化させ移りゆく。雨の日には、雨の日の響きがあり、晴れの日にはまた違う。すべての場所、時間に異なったそれぞれの音風景はあるが、それに気づくためには、それと出会うための時間と設えが必要と考えている。また、風がまちの隙間を流れ通り抜けてゆく。柔らかな光に包まれた畳の空間は、まちと切り離されず、入り江のように凪いでいて静かである。

紙と木材による即興的な造形体は、抽象的であり同時にその素材感を具象的に顕わにしている。それは、部屋の長押の位置から縦横に張られた細い銅線で宙吊りにされている。 銅線には4つの異なる音声信号が常に流れているが、音は発していない。来場者は、岩石のように砕かれた黒いフェライト磁石を手にし、銅線に近づけるよう促される。磁石が銅線に接近し、磁力が銅線を流れる電流に作用すると銅線は振動し、その周囲の紙の面から小さな音を発する。音声信号の種類、銅線の張り具合、紙の形状や距離によって音の響きは変化する。磁石の位置を変え聴診するように音を発掘する。

造形体は楽器となり、その体内で音を奏でているかのような体感が得られる。音量は大きくはない。家の外から聴こえてくる音と混じり合うような質と音量に調整されている。人は音を奏でるとき、その音に耳を澄ますものである。奏でることを通じて今この場所を深く聴く機会となる。驚きと共に現象に対することで感受は活性し、その結果多くの様々な対話がこの場所で生まれた。言葉のない対話を含めて。


すみだ向島EXPO 06 (2025) 参加作品
『 滑空する触知 』Gliding tactile perception /  三浦秀彦

 

 

2025年 10月24日(金) ~ 11月3日 (月・祝)
金曜日、土曜日、日曜日、月曜日のみ 8日間

場所 : ウラダナとなり
東京都墨田区京島3丁目57−6

 

 

すみだ向島EXPO
https://sumidaexpo.com/contents/3134/